後悔と栄光が作る多重構造|ザ・ワーズ 盗まれた人生|評価|感想|映画

2015年1月4日日曜日

ブラッドリー・クーパー主演映画『ザ・ワーズ 盗まれた人生』

多重構成の物語

独特の構成の映画です。三つの構成に別れています。一つ、小説家の朗読。二つ、小説家が朗読している自身の小説、三つ、小説の主人公が小説家であり、その小説家の小説。作中作の中にさらに作中作があるといった形態です。この形式は映画『サードパーソン』を思い起こさせました。しかし、サードパーソン程は複雑ではありません。重きをおいているのは、ストーリー展開よりも人生観のように思えました。

いわゆる純文学テイスト

日本だと小説は大きくエンタメ小説、純文学小説と二分されています。エンタメ小説の代表格は直木賞作品、純文学ならば芥川賞といった二大賞で大まかにイメージできます。『ザ・ワーズ』は純文学テイストだと私は思います。登場人物は本心を全て言葉にしない。相手だったり、観客に真意を想像させます。無駄を切った洗練された文学的文章に近いのかもしれません

犠牲がうむ芸術

芸術の極みは喪失や後悔などの、負の心象が生むと言いたかったのだと、私は感じました。心が限界まで振り切れたときに見る心理が原動力となり、名作を完成させる。平凡で順風なことは幸せではあるが、よしとして描かれていなかった。三層構造に登場する主要人物は誰もが後悔を抱えています。

振り返りと後悔

決して前向きな映画ではありません。どの人物も繊細で、過去の過ちを精算しきれず後悔しています。かといって、暗い映画とも言えない。台詞をはぶき、観客に考えさせる。小説でいえば、行間を読めとでも言うのか。観る者を選ぶ映画です。芸術・創作活動で、突き詰めて無心になり、ものづくりに励んだことがある方なら、納得できる部分のある映画だと思います。

☆☆★★★

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